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大学院~社会人、そしてニート [自己紹介]

 大学4年~大学院修士2年の3年間は研究室に所属し,研究を行った。この三年間は僕の中で貴重な経験となっている。3年間,研究できたことに大変満足している。今でも大学院まで行って良かったと思っている。担当教官の先生はもちろんのこと先輩や同輩・後輩たちに感謝している。
 だが、ちょうど2年前の修士二年12月、うつ病と診断を受ける。

 M2の12月,丁度研究室の年末掃除の日,僕は意識が朦朧としていた。そして僕は救急車で運ばれた。うつ病。それが僕の主治医が下した診断結果だった。そしてそれから2週間入院することになった。学生生活最後の年明けは病院で迎えることとなった。ここからは少しうつ病のお話をさせて頂くことになる。あくまでうつ病と診断されたのがM2の12月末であって,その症状が出たのはもっと前からだった。自分でもいつからその症状がでたかは明確にわからない。しかし,不安感はいつも僕の中に存在した。その不安感がうつ病の症状だとすれば,僕は小学高学年ぐらいからうつ病だったことになる。何やるにも憂鬱だった。うつ病と診断され,薬が処方されるまでの約13年間その不安感は休むことなく続いた。勉強には身が入らなかったし,ただ学校に行くだけで,ただ教室に存在するだけで精一杯だった。だから僕は中学3年まではずる休みを何回もした。親はずる休みしていることを知っていた。だから僕に何故学校に行きたがらないか問い詰めた。しかし,僕にもその答えはわからなかった。だから適当な言い訳を言って説明していた。それでも完全に不登校にはならずに学校には行っていた。死にたくなったことなんて何回もあった。ベットで一人で泣いてことなんて何回もあった。でもそこに理由は無い。ただ生きると言うことが本当に辛かった。僕はただ弱いだけ。僕はただ甘いだけ。僕がただ駄目なだけ。僕は何もできないダメ人間。そんな思いが僕の中に蓄積されていった。高校へ入学し,環境が変わった時から,その不安感はちょっとは和らいだ。ちょっとは勉強に集中できるようにもなっていた。でも不安感が完全に消えることは無かった。ただ,高校入学~大学院まではずる休みは一度もしなくなっていった。それでもやっぱりただ生きると言うことが辛かった。僕は何もできないダメ人間。そんな思いは消えることは無かった。それは大学に入ってからも変わらなかった。むしろその思いは次第に強くなっていた。そして研究室に配属されるとその思いは急速に膨大していった。ここで告白する。僕は本気で死のうとしたことが4回ある。その3回目が,前述のとおりM2の年末だ。その前がM1の秋。そしてその前がM1の春である。2回目と3回目が1年以上あいているが,実はM2の春から秋にかけては調子が良く不安感も消えつつあった。だけどM2の秋以降その不安感はまた顔を出し始めた。そしてM2の年末初めて僕はうつ病と診断された。その頃には、就職先が内定していたが、うつ病のことは会社に知らせずに入社した。そんな僕が、会社で働いてうまくいくはずもなく、入社して1年9ヶ月の今月、会社を辞める。

来年からはニートだ。以上をもって自己紹介とする。


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大学4 [自己紹介]

 高校が大学入学するための機関であるならば、大学入学条件を満たすように指導すべきである。
 そして、大学選抜方式はテスト方式が一般的である。故に、良い成績を取ることができれば、大学へ進学出来ることになる。

 このシステムは明らかに勉強嫌いをつくりだす。そして、嫌なことに耐え、それに取り組み続けた人のみが、大学進学出来ることになる。

 嫌なことに耐え、やるべきことをやる。その繰り返し。

 それが、日本企業の社員である。

 そして、労働者のほとんどは会社、もしくは国に雇われている。

 だからこそ、日本は成り立っている。つまり今の日本は教育が土台になっているのである。

 日本を変えるにはどうすれば良いか。それは教育を変えることである。

 残念ながら、日本を変えるのは政治家ではない。教育だ。そして、未来の人々だ。

 僕が生きている間、日本が変わることはないだろう。だが、しかし、僕がいなくなって数年後、それか、数十年後には今の日本が変わっているであろうと僕は信じている。

 と、話がそれたが、僕は1年生後期~3年生後期までは、良い成績を取るためだけに勉強した。理由はひとつ。
 入りたい研究室があったからだ。僕の所属する学科には、定時のコースと、夜間のコースがあった。僕は夜間のコースだった。定時と夜間は別々に成績が評価される。そして、4年生の研究室配属は各研究室に定時○名、夜間1名と決まっていたのである。夜間のコースの学生数は9名、そして研究室の数は、十数室。つまり、学生の数より研究室の数の方が多いのだ。そして、各研究室配属は希望制で、成績順に決まる。つまり、夜間コースでは自分より良い成績の人が希望した研究室に配属できないというシステムなのである。だから、夜間コースでは、1位を取るということは研究室の選択性自由度100%ということになる。
だから僕は、1位を目指した。そのために良い成績を取るための勉強をしてきた。

 そして、遂に1位になることができ、希望の研究室に配属され、やりたかった研究もやれた。研究は僕にとってかけがえのないものとなっている。今でも、大変満足している。

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大学3 [自己紹介]

大学で僕は優秀学生賞をとった。これは僕が頭良かったわけでもなく、努力家だったわけでもない。ただ、良い成績を取る手段を知っていただけなのである。そして、僕は学校というもの絶望した。それはもちろん成績ということに関してだ。学生の理解度とテストの点数は比例しないのだ。相関すらない。つまり、理解していなくても良い点数は取れるし、理解していても良い点数を取れるとは限らない。そして、就職する際、問題となるのは成績ではない。何に打ち込んできたかである。部活動でも、委員会でも、ボランティア活動でも良いのである。ここで成績はあまり関係ないのだ。もちろん、それは、学校の勉強が企業でそのまま直結するわけではないし、工学部といえど、そのまま即戦力として働くのは難しい。成績など企業側は全く関係ない話なのである。つまり、成績というものが、その個人を評価する上では全く無能なのである。

それでは何のために成績というのは、存在するのだろうか?これは僕の勝手な意見になるが、学校教育における成績とは、自分の力量または理解度を測る手段の一つでしかない。そして、自分が何処を理解して、何処を理解していないのか。どこが強くて、どこが弱いのかを知る。そして、得意を伸ばし、苦手を克服する。その手段を自分で身に付ける方法を学ぶことこそが教育である。そして、困難に遭遇した時、今自分がどんな力量を持っているのか。そして、いま目の前にある壁どのくらい大きいのか、それを把握し、そしてそれをどう対処していけば良いのか、それを考え、実行できる。それがいかなる場合でも。その能力を身に付け、発揮できるようにするのが学校である。

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大学2 [自己紹介]

 大学入学してからの半年間は、僕に勉強の楽しさを教えてくれた。大学1年生の履修科目は一般教養が主だった。特にうちの学校では、数学・物理・英語を中心に力を入れていた。英語はまるっきりダメだったが、数学・物理は楽しかった。といっても、最初の頃は、授業で先生の行っていることが全く理解でず、ただ黒板に書かれていることをノートにとるという作業の繰り返しだった。でも僕は、得意科目である数学や物理を理解できない自分が許せなかった。だから、家に帰ったら、すぐにノートを開き、書いてある内容でわからない部分をわかろうと、考え、時には参考書インターネットで調べ、友人に聞くなどして、自分が納得するまで、ノートを理解することを追求した。そして、それができたときの心地良さは今でも残っている。そして、はじめて勉強が楽しいと感じることができた。その経験は以外にも大学4年生の研究にも役に立っている。

 1年の後期~3年の後期までは、最初の半年のおかげもあってか、授業内容が理解できないとういうことはなかった。そのせいだろうか、僕は勉強を怠けるようになった。僕は勉強を怠けても、テストでいい成績を残せる手段を知っていたからである。もちろん、カンニングなどの不正行為はしていない。その手段は高校で身につけた。高校での僕は、良い成績を取ることだけが目的だった。全く理解してなくても、良い成績すらとってれば良い。そういう考えだった。
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大学1 [自己紹介]

僕は大学進学を機に一人暮らしを始めた。大学が実家から少しばかり遠いからである。実家から僕のアパートまで、1時間30分程かかる。さほど遠いとういう距離ではない。だから、週末になるとよく両親は僕に会いに来た。僕は両親が嫌いなわけではないが、なんとなくそれが嫌だった。正直両親といると疲れるのだ。両親には大変申し訳ないと思っている。だが、一人のほうが気楽だからという単純な理由ではない。もちろん、それもあるのだが、両親の前では、いい息子でありたかった、そして悩みは何でもされけだし相談して、誕生日結婚記念日、母の日や父の日を祝ってやらなければならない。と考えていた。しかし、僕は家族に出さえ自分の中身をさらけ出したくない。僕は、決していい息子では無いし、悩みは自分の中で溜め込み、誕生日も結婚記念日も母の日、父の日も祝うことは無かった。僕が素でいられるのは一人だけの時だった。だからできるだけ、両親とは距離をとっている。だが、夏休みと年末年始だけは帰ることにしている。
こんな僕が友達ができるはずもなく、いわゆるキャンパスライフというのを楽しんではいない。友達とういうのも2,3人ぐらいで休みに一緒にどこかへ出かけることなんてほとんどなかった。だから外出といえば、ほとんどは学校と家との往復。そして、たまに買い出しに出るくらいである。

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高校生 [自己紹介]

 僕は工業高校へ入学して以来9年間,学生として電気を学んだ。そして,その後,某メーカーの会社に就職した。
 僕が,工業高校に入った理由は,これと言ってない。というのは,僕はその当時,将来何がやりたいのかわからなかったし,勉強には熱心ではなかったからだ。ただ親からは,授業料の安い公立高校に入ってほしいということだった。だが、そんな僕が成績が良いはずもなく,公立高校の普通科へ入学することができなかった。そこで,目に着けたのが,専門学科への入学。その当時,家で新しいパソコンを買い,僕はその目新しさにパソコンに熱中した。と言っても,インターネットをするぐらいである。そこで,情報系の学科に進学しようと決めた。丁度よく,近場に自分の学力でも入学できるぐらいの工業高校があった。そして僕は,その学校の情報科に入学した。その学校は,偏差値こそ低いが,地域に根差した学校で,就職率100%というのが何とも魅力的だった。入学当時は高校卒業後進学するつもりなどなかっただけに僕にとっては何とも都合の良い学校だった。ただ,入学する頃には,パソコンへの興味は薄れていた。そして、この頃からやっと勉強するようになった。高校時代の僕は、良い成績をとることと資格取得だけが、目的だった。今となっては、それは意味のないことであることを知っているが、その当時はそれが全てだった。そのおかげもあって、学年で上位を保つことができたし、資格も取得した。そして、それが大学進学にも繋がった。

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幼稚園~中学生2 [自己紹介]

 一方で、姉は褒められる。頻繁ではなかったが、姉は素でいるのに褒められる。だけど僕が素でいても褒められることは何もない。だから僕は頑張らなければ褒められない。やりたくもない手伝いをやった。親が大変だろうからだとかそういう理由じゃなく、僕はそうしないとそこにいる意味なんてないんじゃないかと思ってた。だから勉強も頑張った。いい点数を取れば褒められる。理解することより良い点数を取る方法を考えた。頑張らなければ認められなかった。今のままの自分じゃ受けいられることはなかった。今のままの自分じゃそこに居場所がなかった。家族からすれば、ただ居るだけでよかったのかもしれない。特別に何かできなくてもよかったのかもしれない。ただ元気に生きているだけで良かったのかもしれない。だけど、僕は嫌だった。何もできない、何も強みのない、自分が許せなかった。いる意味すらないと思った。僕は僕のままじゃダメなんだ。そう思った。頑張ろう、頑張ろうとすることはそんなに悪いことなのだろうか。確かに体を壊してまで頑張ろうとすることは間違っているのかもしれない。だけど体を壊してまで頑張ろうとしたからと言ってそれはダメなことなのだろうか。

幼稚園~中学生 [自己紹介]

 僕は大人しかった。いや大人しすぎた。幼稚園や学校では,ほとんど言葉を発することは無かった。とにかくしゃべりたくなかった。それは何故だかわからない。そんな僕が友達ができるはずもなく,親は心配した。

 僕の親は、何か教育方針というものがあったのだろうか?わからない。今更聞く必要もない。とにかく自由に甘やかされて育った。

 僕は学校が大嫌いだった。できれば,中卒で働きたかった。ただそれに親は,大反対だった。それもそのはず。中卒での就職口はまるでない。あったとしても力仕事だ。そしてそんな僕に力はない。結局高校進学を決めた。そんな僕が大学院まで行き,大学教授になる夢を持っているのだから人生とは不思議なもんである。

 僕はあまり褒められたという記憶がない。僕は何をやってもダメだった。褒めることんて一つもなかった。父の「情けない」という言葉と、僕に友達がいないことを心配している母の姿、僕の心の中に鮮明に刻み込まれている。僕は何をやってもダメだ、友達がいないことはダメなこと。だから僕はダメ人間。僕はそう思うようになった。別ここで両親を批判しているわけではない。あくまで僕がダメ人間と思うようになった原因は僕の中にある。父のことは尊敬しているし、母にはいつも助けられている。だから、今の僕には両親に対して感謝しかない。

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幼少期3 [自己紹介]

 そして朗読を始めたのは24歳の10月である。朗読ボランティアやってみたいという気持ちから、朗読用のボイストレーニングがないかインターネットで調べてみた。結論から言えば、あったのだ。僕はその当時横浜にいた。そしてそのスクール川崎にあったのだ。そんなに遠くない。そして約半年間、一週間に一回ボイストレーニングに通うことになった。ここでの経験は素晴らしいものとなった。声の出し方の基本を知るだけで、声の出方が全く違うのだ。僕は、そんなこと普段考えていなかっただけに、目からウロコであった。朗読するには楽しかったし、気持ちよかった。ただ、朗読ボランティアするには、平日の午前中~夕方に時間がとれないとできなさそうなのである。勤務時間とまるっきりかぶるのである。そんな後先を考えずに行動を移してしまった。近所で土日に朗読ボランティアをしている所を探している段階ではあるが、今まだ見つかっていない。でも、朗読は、趣味としても素晴らしいものである。また動画投稿サイトにアップしている。まあ、数人は聞いてくれているようである。それもまた、ひとつの形として成立してると僕は勝手に思っている。

 幼少期の話に戻すが、僕はあまり褒められた記憶がない。本当に褒められたことが無いのか,ただ覚えていないだけなのか,今やさだかではない。ただ言えることは叱られた記憶だけが僕の中に刻み込まれているということである。僕は何をやっても駄目だった。何をやっても馬鹿にされた。そんな記憶が僕の中に根強く生きている。僕は,2歳のころから喘息だった。そして,ずっとそれを言い訳にしていた。何をやっても駄目なのは喘息のせいなのだと。そして、それがただの言い訳であることに気づくのはずっと後の大学生になってからだ。うつ病になってからも、何度もうつ病を言い訳にした。どうやら僕には病気を言い訳にしてしまう癖があるようである。

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幼少期2 [自己紹介]

 また、寝る前によく本を読んでもらっていた。しかも、同じ本を何回も。何回も同じ物語を読んでもらったことは記憶しているが本の題名も、内容もあまり覚えていない。だが、2つだけ覚えているものがある。それは「泣いた赤鬼」と「おしいれのぼうけん」である。おしいれのぼうけんのネズミばあさんが、夢に出てきたことは今でも覚えている。それが、僕の趣味である読書や朗読につながっているかは定かではない。
 もっとも読書を始めたのは大学2年生、20歳の2月からである。それまで文字に触れるというのは、学校にいる時と、宿題するときだけだった。読書の習慣は20歳から今日に至るまで続いているが、そこで僕が魅力的だと感じたのは、文章の響きである。ストーリー展開や、メッセージ性、奥ぶかさにではない。もちろん、それらが本の大事な要素であることは理解しいるつもりだ。だが、文章の響きが良いとそれだけで、本の中の世界へ入り込むことができる。ついついページをめくってしまう。その時間が僕にはとっては贅沢でとっても幸せな時間なのである。コレまで読んできた本の中でもっとも感銘を受けた文章それは、東野圭吾さんの「秘密」の冒頭「予感めいたものなど、何一つなかった」である。これに出会った時の、何とも言えない感情は今でも覚えている。そんな文章を書く作家がいることに感動し、その日以来、僕は東野圭吾の小説ファンになった。そして、僕の文章も少なからず、東野圭吾さんの文章に影響を受けている。

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